シニアになっても色々な事にチャレンジ、自分探しはとても幸せで奇跡の時間です。日々体力の衰えを感じながらも今日出来る事を一つずつ積み重ねていきたいと思います

60歳を超えて低下したと感じる瞬間、体や心はどう変化するのか

63歳、リタイア直後のシニアです。暇人です。

毎日、有り余る時間にまとわりつかれて困っています。

暇よあっち行け!

6歳年下の家内は、仕事に友人との交流に忙しくしています。

一般的に女性の方が元気で長生きですが、家は家内が年下なのでなおさらです。

60歳を超えたころから体や気持ちに少しずつ変化が現れる始めましたので、今日はその事を記事にしました。

いわゆる老化の進行でございます。

体が硬くなったと思う瞬間

体が硬くなったと思うのは、やはり朝起きた時です。

寝起きは特に体が硬いと感じます。

トイレに行こうと仰向けの姿勢から頭を上げて体を起こしたときに体がスムーズに曲がらない瞬間、体が硬くなったと痛感します。

更に外出する際に靴下をはく時、体を曲げて片方ずつ靴下をははこうとした時、やはり体がスムーズに曲がらず、昔のように靴下を素早くはくことができません。

若い時は立った姿勢で片脚を上げてはいていましたが、今は床にお尻をついて座ってはいています。

トイレに行った後に毎回「スクワット」を10回する習慣にしていますが、体を動かして体が温まってくると少し柔軟性も上がってきます。

歩くスピードが落ちたと思った瞬間

早歩きをしているつもりでしたが、ある日の朝、青年に軽く抜かれてしまった時に歩くスピードが落ちたなと痛感しました。

その時は青年の背中を直視しながら、よっしゃ、ついて行こうと努力もしてみましたが、背中が遠くなるばかり、我が息も上がってきましたので、心臓に悪いので無理をするのをやめました。

以前、NHKの特集番組で歩く速度と認知症の関係を研究した疫学調査が発表されていましたが、歩く速度が遅くなると軽度認知障害(MCI)のリスクが高まるとのことでした。

ウオーキングをするにしても、ただのんびりと歩いても運動効果や認知症予防もあまり期待できないので、ある程度の速さ意識して歩くようにしていますが、残念ながら自分では気がつかない内にスピードが落ちているのです。

しかし、これからもウォーキングする時は少しでも速く歩けるように努力するつもりです。

食べ過ぎ、飲み過ぎは翌日に苦しいと思った瞬間

40代、50代までは、少しくらの食べ過ぎ、飲み過ぎは、あまり気になりませんでした。

しかし、60歳を超えた今は夜の食べ過ぎ、飲み過ぎは寝起きはもちろん、夜中も苦しくて眠れないこともあります。

食べ過ぎたなぁ、飲み過ぎたなぁ、と後悔の念が芽生えますが、時すでに遅しで、睡眠不足となります。

10代、20代と学生時代はスポーツをやっていたこともあり、いくら食べても満腹にならない感覚があったのを覚えています。

現在は小食となってしまいました。

時々家内が外食の時に帰りのスーパーで夕食を買って帰ることがあるのですが、これくらいなら食べられると思ってつい買い過ぎてしまいます。

特に夕食にお米やパンなどの炭水化物を食べた時は、その夜と翌朝は胃のもたれ感がでてしまいます。

最近では、食べ物はバランス良く、色々な物を少しずつ食べるように心がけています。

昔のようにやる気が沸いてこない瞬間

何事も「即やる」ことが出来なくなりました。

少し前までは、「一つこれをやってみよう」と思って、取り掛かるまでにさほどの時間はかかりませんでした。

ところが、60歳を超えたあたりから、「これをやってみようか」と思っても、なかなか直ぐに実行できない、行動が遅くなった、億劫になったと感じます。

何事も始めるまでに時間がかかるようになったのです。

これは体の問題よりも、心、精神の問題だと思います。

一度取り掛かってしまえば、やり遂げたいと思う気持ちもあり、続けることができるのですが。

要は直ぐにやれば良いわけですが、怠け癖ができたとも言えるかもしれません。

この状態を放置すると、どんどん流されて自分に負け続けることになると思っています。

サミュエル・ウルマンの有名な詩「青春とは人生のある時期ではなく、 心の持ち方を言う」

やることが思い浮かんだら、直ぐに取り掛かるようにしようと思います。

人の名前、英単語、覚えてもすぐに忘れた瞬間

とにかく、物覚えが悪くなったのです。

「たった今聞いた人の名前が出てこない」

「絶対に覚えたと思った英単語を忘れている」

仕舞には「何を記憶しようかとしていたのかを忘れてしまう」

また、「話題にして話した事は覚えているが、誰と話したのか思い出せない」

ダメだこりゃあ、もう、こうなってしまうと手が付けられません。

兎にも角にも、私の忘却には枚挙にいとまがありません。

こんどこそ、絶対に覚えたと思っても、すでに忘却の彼方です。

思い出そうと「ア行」から順番に唱えてみても出てこない、努力しても覚えられないのです。

もちろん、逆立ちをしても落ちてきません。

すごく、もどかしく仕方がありませんが、思い出す努力をしないのも良くないそうです。

もっとも、昔から記憶力がすこぶる良かったわけではないので、これにて悲痛なほどに落ち込むほどのことでもありません。

残念に思った気持ちもすぐに忘れていますから悩むこともありません。

死(寿命)を意識する瞬間

昨年と今年と続けて、学生時代の友人が亡くなりました。

高校時代と大学時代からの親友です。

高校時代の親友は、昨年の12月に交通事故で亡くなり、大学時代の親友は今年の9月に病気で亡くなりました。

やはり、自分の死についても意識をする瞬間です。

少しずつ順番が近づいているなと。

私たち夫婦の両親も家内の父を残すのみとなり、周囲の身近な人が亡くなっています。

寿命は神のみぞ知ることでありますが、自分の死を意識することが多くなりました。

テレビの文字が見づらくなった瞬間

テレビの文字がぼやけて見えづらくなりました。

昔から目は良い方で眼鏡やコンタクトは一度も使ったことがありません。

でも、最近テレビの小さな文字がぼやけてハッキリと見えなくなり、読み取れなくなってしまいました。

テレビに近づけば読み取れるのですが、以前はハッキリと読み取れていた距離で認識できなくなりました。

映像もハッキリと見えず、全体的にぼやけていると感じることが多くなりました。

家でも外でもスマホを見ている時間があります。

目が悪くなったのは、年齢的なものとスマホの原因もあると思います。

おまけ:朝立ちが無くなった瞬間

「朝立ち」は、とても懐かしい響きのある単語です。

もう50代前半を最後にありません。

若い頃は、朝方トイレに行きたい生理的現象も手伝ってか、確かに毎朝ありました。

このところ「朝立ち」は忘却の彼方でございますが、体の変化をアレコレと考えていたら、思い出したので「おまけ」とした次第です。

でも、60代ならまだしも、70代、80代になっても、「朝立ち」する爺さんがいたら、笑っちゃいますよね。

でも、Wikipediaによると「朝立ち」のことを「夜間陰茎勃起現象」といい、男性は一生にわたって経験するとの記述があり、どうも睡眠中に起こっているらしいのです。

ちなみに、英語では「morning wood」や「morning glory」というのだそうですが、なるほど、以心伝心です。

まとめ

以上のように、60歳を超えてから、ハード、ソフトともに劣化が著しくなっています。

少しでも、劣化のスピードを遅くしようと努力はしているつもりです。

ハードでは、トイレに行く度に「スクワット」、食事の前には「腕立て伏せ」を続けています。

ソフトでは、英単語アプリ「みかん」で単語トレーニングをしています。

英単語アプリ mikan

また、当ブログを継続することで、Wordpressの開設や編集、調べものなどを自分ですることで、一応頭を使っているつもりです。

まだまだ、色んな事に挑戦して行こうと思っています。

老化は否定せず、受け入れつつ、心は青年であり続けたいです。

 

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